当山について
当山は真言宗智山派の寺院です。当山の前身は平安時代の末期、弘法大師の孫弟子實源上人の開基にして願行寺と称し、以来寺運の発展に伴い四十八寺院を有しましたが文正・応仁の乱の戦難により衰微するも天正年間伊達政宗の帰依を受け、寺号を寶池山蓮蔵寺(ほうちさんれんぞうじ)と称しました。また寺領年々二百石を受けて現在地に本堂所属伽藍の建立をなし宮本坊俊雄を中興第一世としました。その後、明治維新の廃仏毀釈にあい仏堂、伽藍、関係書院、書類の殆どを喪失。また、一時廃寺となります。
中興二十四世実雄僧正が法円離散を嘆き、蓮蔵寺復興を発願し迫害と戦いながら裁判により復興の目的を達成。曲竹地区の豪農菊原家の建物を苦心し解体し馬車にて運搬し再建されたのが前本堂です。平成十九年、老朽化により本堂を新築落慶。それが現本堂となります。現在中興三十二世、約四百五十年今日に至る。
所在地 宮城県刈田郡蔵王町 宮字町123
開 山 不詳
中 興 天正五年 宮本坊俊雄
本 尊 金剛界大日如来
脇 仏 不動明王 愛染明王 地蔵菩薩 馬頭観音 子安観音
寺 宝 明治に於ける神仏共営禁止の法難にあい仏堂、記録、宝物焼失し廃寺となり無し